Introdcution

静まりかえる群衆の中、緩急自在のショットを繰り出して相手を揺さぶるテニスプレーヤーたち。競技人口も多く身近な競技ではありますが、そこでプレーヤーが抱いている「見えない」感覚を、きちんと捉え直してみたい――。本シリーズ第8回、「テニス」を探るにあたってお招きしたのは、元女子プロテニス選手で東京経済大学全学共通教育センター准教授の遠藤愛さんです。
全米オープン女子シングルスで4回戦進出、バルセロナ五輪にも出場するなど活躍されてきた遠藤さんは、現役時代に筑波大学大学院で修士号を、引退後に博士号を取得し、テニスをスポーツ科学の見地から理論化すべく探究を続けていらっしゃいます。今回は、かつて遠藤さんが技術を手探りで獲得してきた過程と、テニスの「見えない」本質をめぐる試行錯誤のプロセスが、重なっていきました。

Section 1

レクチャー「球感」とは何か

遠藤: この研究会でやろうとしていらっしゃることは、感覚的によくわかるような気がしています。というのも、後でまたお話するのですが、7歳の頃から私にテニスを教えてくれた父は、この研究会で使っていらっしゃるような、それこそ一見テニスとは関係ないような小道具も使いながら、トレーニングに仕立ててしまう人だったからです。クリエイティビティとイマジネーションをもとに、まさに手探りの中で、私はテニスを体得していきました。そうした立場から、今日はお話したいと思います。
テニスという競技は単純にいえば、縦23.77m、横はシングルならば8.23m、ダブルスならば10.97mのコートの中で、相手とのボールの打ち合いを制した数を競い合うものです。しかも決められた四角い範囲の中に返球しなければならない。テニスを教えていてよく感じるのは、「打ちっぱなしではだめ」というのが競技の特徴です。たとえば、野球を経験した子がテニスをやろうとすると、最初はまさにバッターのように打ちっぱなしになってしまうんですね。
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遠藤: 指導者としてテニスを見つめたときに、テニスの運動能力として有利だと思うのは、「10m走が速い」、一気にトップスピードに至ることができる、ということです。50m走が速い必要はないんですね。ただ興味深いことに、トップレベルであっても、必ずしも足が速いわけではないんです。適切な足の運び、そして球を打った後にすぐ次の動きに移ることができればいい。後天的に獲得することが可能な能力なんです。
テニスは「ひとつのプレーの終わりが、次のプレーの始まり」だと強く感じます。私自身がトップ選手と試合をしてきて体感したことは、当たり前のようにラリーが10本、20本と続く中で、動きがどんどん良くなり、加速していく選手が多い、ということです。
この連続した動きを、私はメトロノームで教えることがあります。つまり、リズムをとらせるんですね。個々の選手にはそれぞれ好きな運動リズムというものがあるので、連続的にそのリズムを刻めるようにする。
逆に戦術的には、相手が刻んでいるテンポを崩していきます。たとえば、伊達公子さんが得意にされていた、「ライジングショット」というのをお聞きになったことがあるかと思います。この技は、地面で弾んだボールの軌道が頂点に達する前に打つショットなんですが、たとえば相手が「タン、タン、タン、タン」というテンポが好きなら、それに対して「タン、タタン!」とリズムを崩すことができる。私はこれを「時間的な戦術」と呼んでいるのですが、テニスの特徴のひとつだと思います。
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遠藤: この「時間的な戦術」とともに、テニス選手として成功するために必要なのは、「自らも動きながら、動いているボールを的確に捉えてコントロールする技術」です。そこで重要になってくるのは、「球感(たまかん)」をいかに養うか、ということなんです。
「球感」というのは説明が難しいのですが……要するに、視野の中でボールも見つつ、相手も見つつ、動きの中で的確に調整してボールを捉える感覚、ということです。
相手コートのある場所に向かって打ちたいと思っていたら、既に相手がそちらに動いていた――つまり、読まれていたとしましょう。そのまま打つのではなく、コースを変えたいとする。その時に、たとえば「インサイドアウト」――打点に対して内側から外側に向けて、ラケットのヘッドを遅れて出していくようなスイングをしてコースを変える、というような調整をしていくんです。
テニスを始めたときの「球感」は「ラケットでボールを捉える感覚」というシンプルなものですが、レベルの向上に伴い、相手やボールの状況に応じて球を微調整して捉える感覚へと洗練されていきます。
テニスの難しさのひとつは、直にボールを捉えるのではなく、ラケットという道具を使う、ということです。道具をいかに体の一部にするか。テニス界で一時、ルールに即した範囲でちょっと長くしたラケットを使うことが大流行したことがありました。私も使ってみたのですが、わずかにラケットの長さが変わっただけで、ボールをインパクトする距離感がガタガタになってしまって、即座にやめたことがあります。自分の歩幅と腕、そしてラケットの長さ……すべての距離感が「球感」へとつながっていて、最高のインパクトへ向けて、走り回り、体重移動させていくんです。
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遠藤: こうした感覚をシェアする、共有するというのはとても難しいですよね。私が7歳で、言葉の理解も未熟なときに父が教えたやり方は、「素手で打つ」ということでした。ボールをラケットの真ん中で打て、スイートスポットで打てといわれても、素人では何がよくて何がだめなのかわからない。それを実際に、手のひらできちんと捉えた感覚が自分のスイートスポットだと教えてくれたおかげで、ラケットは腕の延長である、という感覚も体得していけました。プレーヤーとして練習しながら、その経験を大学から大学院で理論化していった、という感じです。今日はこうして競技の感覚を伝える方法を、皆さんと改めて考えられたら、と思っています。

Section 2

試行錯誤立体的に打つ、リズムを刻む

伊藤: 「球感」というのは面白いですね。でも、翻訳できるかな……?
林: 幼少期、ラケット以外の道具も使ってトレーニングされていたのですか?
遠藤: はい。たとえばボールを布に包んでビュンビュン振り回すと、少し“持っていかれる”感じの腕の振りの感覚が身につくんですよね。ちょっとやってみましょうか……ああ、懐かしい(笑)。こんなふうに手づくり感あふれるトレーニングをしていました。
腕の振り方も重要ですね。たとえばサービスの場面では私も、このクルッと回す腕の振りにかんして「耳の横に来たことを感じてみなさい」というような教え方をします。肘が体から遠くならないよう、滑車のような動きをさせたいわけですが、それを耳で捉える、ということなんですね。
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渡邊: ここには縄跳びなどもありますけど、使っていましたか?
遠藤: 私の父は、フットワークにおけるスタンス(足の位置)を教えるために、足に巻かせることがありましたね。よく「スタンスが狭い」と怒られて、「開いてるよ!」といい返していたんですけれども、それに対して父が直接体感させるために縄跳びを使ったんです。ちょうどいい大きさの輪にして、それに両足を入れて突っ張らせながら、縄をたるませないようにテニスをするという……。
渡邊: え、この状態でテニスをしたんですか?
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遠藤: ええ、周りの人たちは「何だあれは?」という感じで見ていましたけど……変わり者の親子だったんですね(笑)。リズムの刻み方も、音で捉えるように教わりました。当時、ジミー・コナーズやビョルン・ボルグといった海外のトップ選手たちが有明に来たときに連れていかれて、「目を閉じてこのフットワークの音を刻んでおけ」といわれたんです。この音のリズムを忘れないように、と。
実際テニス選手は、フットワークのみならず、ボールのインパクトの具合も聴覚で捉えている部分は大きいんです。アウトドアの会場よりインドアのほうが音の反響がよいので、選手の調子が上がりやすいといわれることもありますから。
伊藤: 指導方法がすごくユニークだったんですね。「球感」にかんしては先ほど、ラケットの面と手のひらの面を結びつけてお話されていましたね。
遠藤: ボールを点で軽く引っかけるように捉えているわけではなくて、もっと面で押し引っかける感覚とでもいうんでしょうか……平面的ではなく、力のベクトルも加わって、立体的に打っている感覚があるんですよね。
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渡邊: サッカーでも低い弾道でライナー性のシュートを打つ時、「かぶせるように打つ」というような表現をすることがありますね。
林: その立体的なインパクトは表現してみたいですね。
遠藤: 相手のボールを打つ時も、軽いインパクトではなくて、体ごとぶつかりにいっているような……まさに「衝突」という感じなんですよ。自分から向かっていって、しかもそこで点で打つのではなく、体の面で押すように捉えていくことで、ボールに力を与えている感覚なんですよね。
渡邊: ここに筒状のスポンジの棒があるんですが、この穴にうまく手のひらを当てると「ポン!」と綺麗に音が鳴るんですよね。ボールの芯を押して捉える感覚の表現としては、手掛かりになりそうな……。
伊藤: たしかに、音で判断しやすいですね。
遠藤: そうですね。ラケットのフレームに当ててしまうことを「ガシャる」といいますが、そうした成否の感覚もうまく表現できるといいかもしれません。
渡邊: たとえば、真ん中を誰かに持っていてもらって、それを左右から別のプレーヤーが叩く、とか……。
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遠藤: あとはここにリズムの表現が加わると面白いですね。メトロノームのようにリズムを刻む、あるいはそれを崩す、というような。卓球の回を拝見したのですが、リズムの感覚にかんしてはかなり似ているように思います。
林: 卓球のときも途中でスポンジ棒は使ってみたんですよね。あの時はそこから、卓球のカットの感覚を表現するために鍋蓋に変わっていったのでした。
伊藤: テニスでも回転は重要なのでしょうか。
遠藤: もちろん回転は重要なんですが、まずはしっかりとボールを捉えてからの話ではありますね。
伊藤: そうですよね。ピンポン玉のような軽いものを捉えるのに比べて、テニスのボールは押すように打つということですから、その表現の違いはありそうですね。リズムにかんしても、トン、トン、トン、トンと一定で刻んでいる相手にタ、タンと素早く切り返す、というような翻訳はしてみたいです。

Section 3

結論立体的なインパクトとリズムの戦術

渡邊: スポンジ棒の両端に、立体物をつけてみましょうか。セーリング回の時にも出てきた、中で音が鳴る円筒型のオモチャと……もう片方には中にいくつかビー玉を入れた紙コップ。口のところは十字にガムテープで止めて、面の感じを出しましょう。これでリズムを刻む……どうやったらいいんでしょうかね。
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林: ボールが来た、ということを感じないと返せないですよね。たとえば、利き手じゃない手(写真、手前の左手)をかざしておいて、相手が打ったら筒ないしコップが左手に当たるようにする。それをバウンドだと思えばいいんじゃないでしょうか。バウンドを片手で感じたら、今度は利き手(右手)で自分が打つ。そうやってリズムを刻んでいく、とか……。
遠藤: テニスの「終わりが始まり」という感覚も、よく出ている気がします。
伊藤: 真ん中でスポンジ棒を持っている人は、俯瞰的な目線で観戦する人になるんでしょうか。それともシンプルに、このテニスの表現を成り立たせるために必要な人、なんですかね。もし観戦できるとすると、今のままだと、棒の両脇のふたりが打つ方向が、実際にテニスコートでボールが行き来する方向に対して直角になってしまっているんですよね。テニスコートの真ん中で俯瞰して見ている感覚と、対応がとれていなくて。それをコートでボールが行き来しているように感じるためには……。
林: コートの真ん中に入るですか……棒の真下に来て、棒に対して直角になる、とかでしょうか。
伊藤: なるほど……コートの真ん中の「ネット」になってみる、ということですね(と、ヘルメットをかぶって棒の真下へ)。
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渡邊: (プレーをしながら)どうですか?
伊藤: うーん……横に立っているよりも、コートの中に入っている感じの面白さはあるんですけど……。でも単純に音がうるさいし、後ろ側で鳴っている音がよくわからなくなっちゃうんですよね。結果として、何が起きているのかよくわからなくなる。これにかんしては要検討ですね。
遠藤: プレーヤー目線だけでいうなら、今のやり方でもラリーのテンポなどは、うまく表現できているかもしれません。ラリーで刻まれる時間というのは、自分の打ったボールスピードと相手のボールスピードによって決まりますが、操作できるのは当然ながら、自分が放つボールのスピードだけです。逆にいえば、そこで相手を崩すんです。それが先ほどいったライジングであるとか、ゆるく山なりの放物線を描くロブといったショットになってくるんです。
林: もうちょっとインパクトの感覚も表現したいですよね。紙コップにこの芝生のシートを貼りつけてみましょうか。
遠藤: あ、いいですね、“面”ができた感じがします! このほうが、実際の立体的なインパクトに近い“打った”感覚があります。私は好きですね。
渡邊: これでもう一度やってみましょうか。横方向でラリーをして、リズムを刻む中で、タ、タンとタイミングを早めてライジングを打つ。それだけでなくて、上から叩きつけるスマッシュとか、下から打つロブも表現できますね。
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遠藤: たとえばボレーならば、ライジングよりはやく、相手が打ったのとほぼ同時に打つ、というような表現もできますね。
渡邊: なるほど。テニスのゲームで球を打ち合うという感覚は伝わりそうですね。
遠藤: もう一度やってみますか、タン、タン、タン、タン……タ、タン!(とライジングを放つ)
渡邊: あっ!……一瞬でテンポを崩されると反応できなくて、打ち返せませんね(笑)。この感覚なんですね。
(イラスト:加納徳博、写真:近藤俊哉、編集:宮田文久)