Introdcution

「見えないスポーツ図鑑」第4回のテーマは、柔道。一本背負いに巴投げと、派手な投げ技が華やかなスポーツですが、その技が繰り出されるのは一瞬のこと。試合時間の大半は、ふたりの選手が必死に組み合っています。そこでは一体、何が起きているのでしょうか? その「見えない」感覚は、第三者へも翻訳可能なものなのでしょうか?
ゲストにお招きしたのは、日本のナショナルチームで情報分析を担当している、了徳寺大学教養部准教授の石井孝法さん。2016年のリオデジャネイロ五輪の際、日本柔道チームの躍進を支えた、影の立役者です。
今回のポイントは、選手それぞれが思い描いている、まさに目に「見えない」試合運び。その「見えない」情報をやりとりし、予測し、裏切りながら、柔道の試合は進んでいるようです。

Section 1

レクチャー相手をだまし、自分のストーリーへ

石井: 簡単に自己紹介から始めさせてください。僕は全日本柔道連盟科学研究部スタッフ、日本オリンピック委員会専任情報科学スタッフとして、全日本柔道と、全日本空手道のナショナルチームもサポートしています。大会に赴き、試合を撮影してパフォーマンスを分析、そのデータを研究してコーチングする、という役割です。
日本の柔道は、世界選手権やオリンピックで金メダルをとって当然というふうに思われがちですけれども、競技人口はブラジルで200万人以上、フランスだと60万人ほどいるといわれており、そう簡単な話ではありません。トップレベルだと体脂肪率が6~7%というような海外選手たちを倒さなければいけない。
僕たちは、情報を制する者は世界を制する、と考えています。とはいえ、情報というものは活用できなければ意味がありません。情報として知っているだけでは、僕たちの体は一向に思うとおりに動いてくれない。データを見るだけでなく、そこからどうやって勝つ方法を見出だしていくのか――この点は、視覚障害をもつ方に柔道をどう伝えるのか、ということにもからんでくると思います。
レクチャーイメージ1
石井: ナショナルチームの練習場には大きなタッチパネルを用意していて、タッチすればすぐに、さまざまなスタッツ(プレーにかんする統計数値)をチェックすることができます。たとえば海外のある選手が得意な組み方を、随時確認しながら稽古に入ることができるわけです。
ただ、この組手というのは、見ている人には伝わりづらく、逆に専門家としても表現しづらいところなんです。今回、レクチャー後の実践においても、おそらく重要なポイントになってくるのかな、と思います。どうしても柔道というものは、見ている人からすると、ダイナミックに投げるところが注目されますが、実はそこまでの動き、相手を投げる前のところが大事なんですね。
端的にいえば、組手の中で「相手をどうだましつづけるか」という駆け引きがずっと行われているんです。相手の重心というものはそれこそ目では「見えない」のですが、実はいろいろな方向に動いているのをしっかりと捉える。そして、相手にある方向に動いてほしいと思ったら、それを準備していく――そこまでの「ストーリー」をつくっていくわけです。
レクチャーイメージ2
石井: たとえば、相手の足を“刈る”などして、“後ろ”をずっと意識させる。相手は後ろに投げられるんじゃないかと思いますから、前方向に動き出す。そのタイミングを狙って投げるわけですね。組手を外から見ていると、いったい何をやっているんだろうと感じるかもしれませんが、実は「こっちに行くぞ、あっちに投げるぞ」といった情報を組手から与えて、だましながら、相手の気がつかない方向に技をかけていくんです。
選手は自分が持っている技がいくつかあって、ゴールを決めている。そこに持っていくために、「相手自身は重心が安定していると感じているのに、実は安定しておらず、こちらとしては投げやすい瞬間」を、予測しながら、つくりだしていくわけですね。
エリートの柔道アスリートと話をしていると、相手がどうするのかをイメージする能力がとても高いことを実感します。練習のとき、相手がどう動くのかを話していると、実際の試合で本当に相手がそう動く。高いイメージ力に加え、相手の体幹に近い襟や、あるいは袖を握っている手からの情報がやりとりされていると考えられます。
レクチャーイメージ3
石井: また、以前にデータを比較して興味深かったのは、一流のアスリートとそうでない競技者では、技をかける動作時間には差がないんです。動作が速いから技をかけられるわけではない。
差があるのは、技をかけるときの姿勢です。エリートは上半身を回転させて技をかけるとき、その途中まで顔はずっと正面を向いたままなんです。つまり、相手に情報を伝えないというか、情報が入るのを遅らせている。これが普通の学生の選手だと、回転の動作自体はエリートより速いことさえあるのですが、技をかけて上半身を回転させ始めると同時に頭部も回ってしまっている。
つまり、動作の速度という時間的な問題だけではなく、そこで相手に情報をどれだけ伝えないのか、というのがポイントになってきます。自分の動作の情報を極力伝えないで、相手を不安定にして、自分は安定する。
トップレベルの選手ですと、それぞれどんな技が強いのかわかっています。そして選手双方に、得意な技にもっていくための「ストーリーづくり」を、組手のところでしている。そのストーリーのゴールにたどり着かせないように、お互いに潰しあうんです。その上で、どこかで裏をついて、“穴”を見つけていく。
ですから柔道は技を決められたらとても悔しいものなんですが(笑)、ここまでお話しした身体感覚を今回、どうやったら表現していけるのか、一緒に考えさせていただきたいな、と思っています。

Section 2

試行錯誤布か、フラフープか

伊藤: 「見えないスポーツ図鑑」プロジェクトの前身の研究で、私たちで少し柔道のことを考えてみたことがあります。タオルのような布の真ん中を目の見えない方に持ってもらって、両端を晴眼者が持つ。それで両端のふたりが柔道の選手同士のように、布を引っ張ったり、上下に動かしたりする。すると、真ん中を持っている目の見えない方も体を持っていかれて、力の駆け引きを体感できる……厳密ではないやり方ではありましたが、今回はそこからもっと精度を上げていきたいと思っているんです。お話を伺っていると、相手がどう動こうとしているのかをうまく読んで、それに合わせていくというのは、介助の基本に近い感じもしますね。
試行錯誤イメージ1
渡邊: タオルでの“翻訳”も、基本的な駆け引きという視点は間違っていないと思うんですが、もうちょっと違うやり方がありそうですね。第三者としてではなく、自分自身が柔道選手の立場になって体感する方法も考えられるかもしれません。
伊藤: 何かゴールを決めることができればいいですね。タオルがどうなればいい、というような、ストーリーの目的地を設定する。
石井: たとえば……お互い、布を片手で持って、もう片方の手で握りにいく場所を決める。自分はそこを握りにいって、逆に相手には握らせない、というような。
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林: 意外とすぐに握れちゃいますね……(笑)。
石井: うーん、難しいですね(笑)。ゲームのようになりますが、足元に同心円状に3点、5点、10点というポイントが書かれていて、そこに崩されないようにする、というようなイメージは浮かびます。
渡邊: 僕と相手それぞれに、崩したい方向があるわけですよね。その方向に崩したら勝ち、崩されたら負け、というやり方はありえるような気がします。
石井: 一方向だけになると、その方向だけしっかりとガードするようになってしまうので、いくつかの方向があったほうがいいですね。
林: それぞれの足元に、とりあえずスリッパ1個とクッション1個を置いてみましょうか。この方向に崩したい、崩されたくない、という目印で。
伊藤: (足元を動かさないように布を引っ張りながら)あ、面白い、柔道に近づいている感じがする。
石井: 布の質感は、柔道着を常に触っている人間としては、しっくりきますね。布だけでは「押す」という表現ができないんですが……それでもたるむ、それを引っ張る、という感触は、やはり柔道そのものの質感に近いものがありますね。片手で引っ張る布に加えるとしたら、もう片方では押せる……たとえばふたりの体と体の間に硬い何かがつながれていて、手は引き合って、一方では押しあって、というような。
渡邊: 片手は布で、ひとまずもう片手で、この長い筒を抱えてみますか?
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伊藤: すぐに棒にしがみついちゃいそうになるのと、そのせいもあってか、どちらかというと相手と協力し合っちゃいますね。このフラフープだと、どうでしょう?
林: お~、これはよさそうですね。
石井: 押す、引くという直線的な方向だけでなく、回転の表現ができるのがいいですね。実際に柔道の初心者が受け身の練習をするときにも、フラフープを使うことがあります。
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伊藤: このフラフープを第三者が触ると、どう感じるんでしょう。
渡邊: 円の両側を持っていないと、なかなか回転が感じられないけれど、動き回るフラフープの両側を持つのがそもそも難しいですね。
林: フラフープの中に入ったらいいんじゃないでしょうか?
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伊藤: お互いのパーソナルスペースに入っちゃって、圧迫感がすごい……(笑)。
渡邊: とてもやりづらいです……(笑)。
伊藤: やっぱり、見えない人自身も選手役になったほうがよさそうですね。

Section 3

結論方向を設定する

石井: あとは相手を「崩す」ということを、どれだけ表現できるかですね。実際の柔道だとすごい力が加わって、相手はどうにかそれを我慢するという動きが出てくるので、より崩しやすい。このフラフープだけでは大きな力にはならないので、そのぶん、スタートはお互い片足立ちがいいかもしれません。体重差や体格の違いが、体感としては消えてしまう可能性もありますが、やはり両足立ちだと安定してしまいますから。あとは、相手を崩す方向の設定ですね。
渡邊: 崩したい場所、崩されたくない場所を、床にテープを貼ってみましょうか。
林: 目の見えない方には、あらかじめこの方向を伝えておく必要がありますね。
伊藤: あまり複雑にしなければ大丈夫だと思います。
渡邊: 相手の得意技、ストーリーに入りやすい危険ポイントをつくってある、という感じですね。改めてこれでやってみて、評価してみましょうか。
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石井: うん、柔道の表現として、かなりよくなりましたね。
伊藤: 先ほど、浮かしていた足を思わず床に着いてしまったんですけれども、倒されないようにしたその反動で一気に崩されたのが印象的です。
渡邊: 基本的に片足では立つわけですけど、浮かしているもう片方の足も、テープが貼られていない方向ならば床に着いてもいい気がします。
石井: そうですね、ポイント制のようにしてもいいかもしれません。あとは選手によって得意な組み方が、右組み、左組みとありますので、それを表現できたらいいなと思いますね。今は足がふたりとも相手をまっすぐに向いていますが、45度くらい斜めに向けてスタートする。
林: その組み方を決めると、相手の重心を崩す方向もおのずと決まってくるわけでしょうか。
渡邊: ある方向にはやりやすくなりますよね。
伊藤: それぞれの狙い、ゴールもわかりやすくなりますね。組手の方向も、足元に貼っておきましょうか。
石井: もし柔道選手がこれを行うなら、相手を崩したい方向――足元に貼るテープは、きっと対角線上に貼るはずです。片方向だけならば、ずっとそちらをガードして、逆方向に崩れればいいことになってしまう。ですから、必ず対角線上に、両方向貼る、というのがルールになりそうですね。実際の柔道では必ずしも対角線上に崩すわけではなく、かなり複雑になるのですが、今はわかりやすく単純化してみましょう。体重差がある場合はもう一枚貼ることができる、というふうにすれば、ハンデ制も導入できますね。
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伊藤: これでもう一度、みんなでやってみましょうか。
渡邊: なるほど! 崩しどころがわかっていると、逆に自分も守りどころがわかりますね。力の向きであるとか、こっちに行っちゃいけないんだ、というのが、目をつむっていてもわかる。
林: 戦略と動作が同時に表現できている、ということなんですね。
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石井: 実際の柔道でも、組手によって強い方向、弱い方向があるんです。相手の弱い方向に向かって崩すように仕掛ける。それを相手もわかっているので、崩されないように一歩踏み出す。さらに自分は、相手がその一歩を踏み出すのを予測して投げていく……こういう駆け引きが、ずっと組手の中で行われているんです。それを今回は単純化したわけですが、しっかり戦略的にもなりましたね。
伊藤: それにしても、柔道はゴールに向かっていくという逆転の発想によるスポーツだとは、思っていませんでした。
渡邊: ゴールへのストーリーがあったうえで、相手をどうはめていくのか、ということですよね。
石井: そのストーリーを、各国の優秀なコーチが考えているんです。というのも、ゴール自体を増やすことは難しんですよ。得意技はなかなか増やすことができない。しかし、そこに対する複数のストーリーづくりはできる。2~3個のゴールに向かって、多くのストーリーを用意していけるわけですね。
林: ストーリーが読めない選手もいるんでしょうか。
石井: たまにいますよ。たとえばイランの選手などで、柔道とはまったく違う格闘技の技術を持ち込む、といったことがあります。すると防御の仕方がわからないわけです。そうやって、みんな新しいストーリーをつくって、それぞれに対策してくるんですね。だからやっぱり、情報戦が大事なんです。
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(イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久)