Introdcution

空中でクルクル回転するアスリートたち。一緒に回転しながら体感するなんて、とても無理。じゃあ一体どうしたら、この感覚は伝わるのか――。
「見えないスポーツ図鑑」第5回のテーマは、体操です。お招きしたのは、日本大学文理学科体育学科教授・水島宏一さん。かつては日本男子体操チームの中心選手であり、1988年のソウルオリンピック、男子体操の団体総合では銅メダルを獲得するなど、第一線で活躍されていました。スーツ姿でも一瞬で倒立する(!)一流アスリートとしての身体感覚を、学術的見地から捉え直した水島さんのお話を受けて、研究メンバーはセーリングの回の「水上」に続き、「空中」という新たな領域に挑戦していきました。

Section 1

レクチャー非日常的な「驚異」と、シンプルな「姿勢」

水島: 現在のオリンピックで行われている体操競技は、男子が「ゆか」「あん馬」「つり輪」「跳馬」「平行棒」「鉄棒」の6種目、女子が「跳馬」「段違い平行棒」「平均台」「ゆか」の4種目です。現在と同じような「競技形態」になったのは1936年の第11回ベルリンオリンピック大会から。たとえば第10回ロサンゼルスオリンピック大会では、「棍棒」や「クライミングロープ」……いわばのぼり綱ですね、このような種目も行われていて、「ゆか」は行われていませんでした。
ベルリン大会以降も、演技が決められている規定演技と、現在のような自由演技が両方行われていましたし、「競技形態」は今と同じでも、「競技内容」は異なっていました。たとえば「つり輪」にしても、今では「スティルリング」、つまりは輪を動かさずにじっとさせたままで演技させなければならないのですが、当時は「フライングリング」。輪を揺らしながら演技をするんです。今の僕たちからすれば、揺れながら倒立を止めているのでさらに力が必要で、すごいなあと思います(笑)。
他の種目も器具の形が現在とは違っており、「競技内容」が現在と同じものになったのは1952年の第15回ヘルシンキオリンピック大会からで、さらに規定演技がなくなって今のように自由演技のみが競技会で行われるようになったのは、1997年のことです。
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水島: 先ほどから「演技」といっていますが、体操競技の大きな特徴は、評定競技である、ということです。単に技ができるかできないかを競うのではなく、どれくらいよく演技できるかという運動の「質的深まり」を争うものなんです。もちろん、より難しい技に挑んでいくということは体操競技の一面なのですが、それは常に演技の質的な深まり・向上によって裏付けされていなければなりません。
その「質」において重要なのが、「非日常的驚異性」と「姿勢の簡潔性」です。
「非日常的驚異性」というのは、体操選手たちの演技そのものです。理学療法士のプロであるトレーナーさんが初めて体操にかかわる現場に立ち会ったことがあるのですが、選手がつり輪にぶら下がってスイングをやり始めたら、「危ない!」といって走り寄られたんです。こちらも思わず引き留めて「どうしたの?」と尋ねたら、「あれは解剖学的に肩が外れる動きです!」とおっしゃっていました(笑)。
「大丈夫です、みんなこれが普通ですから」とお伝えしたのですが、我々はそうした、一見無理な動き、普通の人だったら痛くてとても行えないような運動を、トレーニングし、筋肉や腱を鍛えてやっているわけですね。
「姿勢的簡潔性」というのは、たとえば「ゆか」でしたら、最初は膝を曲げて行っていた技を、膝を伸ばして腰を折った屈身姿勢で行っていく、今度は屈身姿勢で行っていた技を体を伸ばした伸身姿勢で行っていく。姿勢としてはシンプルになるんですが、その分、技の難度は高くなっていきます。体を丸めて空中で2回転するのと、体を伸ばして2回転するのでも、難しさは大きく異なりますから。
そうした演技を採点する採点規則は、1919年に、国際体操連盟によって作成されました。1949年に「難度」「構成」「実施」という三つの採点要素・区分原則が定められて、現在に至ります。白井健三選手が次々に新しい技を生み出して成功させているのを、皆さんもニュースなどでご覧になったことがあると思いますが、そのように世界大会で発表すると、ルールブックに加えられていくんですね。私も正確な数は把握していませんが、男子の6種目でだいたい1000に到達するかしないか、ぐらいだと思います。
採点規則の構造は、難度等を含む「D得点」(difficulty)という、上限なしで加点されていくものと、実施等を含む「E得点」(execution)という、満点が10.00で、そこから減点されていくものに分けられ、それぞれに細かくルールが決まっています。
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水島: そもそも、体操選手たちは、なぜあんな技ができるのでしょうか。初めて体操をやる子でも、「真似る」のが得意な子はすぐに上手になります。五感を通して情報を受け取る、いわば感覚系の「入力」と、実際に体を動かす領域である運動系の「出力」がうまくつながらなければなりません。
よく「運動神経がいい」などといいますが、筋力、持久力、敏捷性、柔軟性などの体力因子がそろっているだけではなく、それらのピースをうまく組み合わせる学習ができなければ、体操は難しい。体力因子だけではなく、技を習得するために効果的な体の動かし方という意味での技術、このふたつがなければ、体操の技を習得することはできないんです。
今回の機会に、体操競技独特の身体感覚について、そしてそれを他者と「共有」することについて、改めて考えてみたんです。たとえば全日本の合宿などで選手がコーチと交わす会話は、こんな感じなんです。
「どうでした?」「ちょっと下が違ったな」「ああ、やっぱりそうですか」「もっとギュッと指先でぶら下がったら上に飛んでいけるね」……
外の人はまったくわからないですよね(笑)。でも、会話している人同士は、すべて映像イメージが頭の中に入っているし、浮かんでいる。そうした体操競技の身体感覚を、動画でなく共有する可能性はあるのかどうか、皆さんと考えてみたいと思っています。
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Section 2

試行錯誤伸身、回転、上下感覚

林: 先ほどおっしゃっていた「姿勢の簡潔性」について、もう少し詳しく伺えますか?
水島: 体をまっすぐにすればするほど、全体は長くなりますよね。そして、長いものを空中で回転させるのには、それ相応の技術が要るんです。実際に、仰向けに寝っ転がった状態で、実際に体感してみましょうか。皆さん、寝返りってどうやってうちますか? 腰から動くでしょう。必ず、体のどこか一部からひねっていくんですね。体全体を全部一緒に動かそうと思ったら、動かないはずです。
林: あ、本当だ、動かない……(笑)。
水島: 今度はうつ伏せになって、手足を伸ばし、前を見て身体を反らせてみましょう。背中とお尻に強く力が入っているはずです、倒立はこの状態に近いのですが、そこから横へ転がっていきましょうか。体に力を入れたままでないと、転がりませんよね?
伊藤: 手足を伸ばすと全然違いますよね。
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水島: フィギュアスケートの選手が、手足を伸ばしたままで体をひねり、回転させていくのを見ると、本当にすごいと思います。形がきれいな分、本当に難しいことなんです。手を使っていいならそこから体を引っ張って回転していけるんですが、手を挙げていたら、動かすことができる部分は限られる。肩と頭と腰を動かすしかないですから。
渡邊: たとえば、表面が滑らかな木板の上にフリスビーを乗せて、その上に乗って回転してみましょうか。
伊藤: やっぱり手足を伸ばすのが難しいですね。
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水島: 加えて、体操独特の身体感覚といえば、空中の状態でしょうか。たとえば人は、立った状態から倒れると、間違いなく足を出してしまいます。体操では、たとえばバク転を思い浮かべていただければわかるように、それをしてはいけない。
もしバク転をイメージできなければ、鉄棒の後ろ回りをイメージしてみてください。後ろに回るとき、怖くなかったですか。それでも後方へ回転しようと試みて、あごを上げ、頭を後ろへ動かし回転しようとした瞬間、非常に強い恐怖心を感じて、回転の途中で鉄棒から下りてしまいませんでしたか。このとき後方へ回転するために行った「あごを上げ、頭を後ろへ後ろ動かす」という動きでは、あごを上げることによって頸反射が起こり、四肢や身体を伸ばしてしまうのです。その結果、後方へ回転する動きを邪魔してしまうことになります。
ですからバク転は、初めてやるときは怖いですよ。まるでジェットコースターというか、ずっと落ちていくような感覚です。「後ろに倒れる」という、日常生活の中ではない動きをやってみましょうか。私が背後で受け止めますので、気をつけの姿勢から、まっすぐに後ろに倒れていってみてください。
伊藤: 怖い……(笑)。
渡邊: 一線を越えた瞬間が、バンジージャンプみたいで怖いですね……!
林: やっぱり、すごく非日常的なことをしているんですね。
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渡邊: ここから逆さまにもなるわけですね……(笑)。
水島: 体の上下が普段と逆になる感覚は、小さいお子さんたちを指導するときによくやるのですが、「だるま転がり」で体感することができます。あぐらのように座って、両足を両手でつかんだ状態から、横方向に転がって足からお尻を上まで上げてみてください。
伊藤: できない……途中で力尽きてしまいます(笑)。
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水島: 大学生でもなかなかできない人はいます。僕たちは力の入れどころや動かし方がわかっていますけれども……あと、実は逆さまになるといっても、体操では本当に逆さまになることは少ないんですよ。たとえば、倒立をしてみましょうか。
林: なるほど。倒立といっていても、頭は逆さまになっていない状態なんですね。
水島: そうなんです、顔は地面に向かっていて、完全に天地は逆転していません。頭が中に入って本当に逆さまになってしまっては、自分がどこにいるのか、どういう状態なのか視認できなくて、体操選手でも怖いですよ。
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水島: 鉄棒の回転技などによっては一瞬、本当に逆さまになる瞬間がありますが、それでも次の瞬間にはきちんと見えていますし、着地する場所も認識できています。目を閉じると本当に怖いですよ、自分がどこにいるのかわからないので。
伊藤: ……難しいですね、こうした非日常の感覚を、どう日常化して翻訳するのか。
林: 目の見えない方にもどう伝えるか、ですね。

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結論鉄棒の「真上」と「真下」

渡邊: 技を一人称的に伝えるのか、それとも外側から見て抽象化した三人称的な視点で伝えるのか……。
水島: あん馬では、取っ手を選手が左右の手で次々と掴んでいる音がずっとしていますし、ゆかでは足が地面を蹴る音がすごいので、その強弱などは伝えられますが、回転技の感じを表現するとなると、なかなか難しいですね。こんなに回転しているんだという感覚だけなら、回転椅子に座ってもらって回してもらえば、他動的に体感はできますけれども……。
渡邊: 体操選手の動きを見ていると、「連続的」な感じがするんですよね。そこをうまく表現してみたい気がします。
水島: もしかしたら、鉄棒の大車輪の感覚――伸身した状態でグルグル回る技の感覚は、うまく表現できるかもしれません。ひとりが寝っ転がった状態で、自分の腕を最大限に伸ばして、掴んでいるもうひとりの手を引っ張ってみてください。握られた方も引っ張ってみましょう。この時、寝ている人の指先が伸ばされますし、背中も引っ張られますよね。これが、鉄棒の真下に体が来た時、真上からグンと引っ張られるときの感覚なんです。
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渡邊: 足の方からも同時に引っ張ってみましょうか。うつ伏せのほうが真下に来た時の体感に近いですね、グッと伸びる感じがします。
林: 遠心力がかかる感じがする、ということですね。
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水島: その時に、ダラーッと伸ばされて力を抜くのではなく、力を入れたままなんです。そうじゃないと、吹っ飛んでいってしまいますから。逆に鉄棒の真下から真上に体が持ち上がるときは、体が縮んでいってしまうので、力を入れて自分で伸びていきます。その時は手足を両端から持っている人が、今度は押してあげればいいでしょうね。
渡邊: 勢いに任せて回転していても、体はリラックスした状態ではないんですね。手にかんしては、指先同士で握り合うよりも、何か捕まるものがあったほうがよいでしょうか。鉄棒に似たもの、物干しざおって、ありますかね? ないようなので、このカメラの機材を掴んでみましょうか。……うん、棒のほうが、特に手を押される時、真っすぐ押されている感覚がありますね。
水島: 棒を持つ手は、隙間なく握るのではなくて、ゆるく掴んで、少し遊びがある状態がいいですね。ひとまずは順手でいいでしょう。その状態で、手足を持っているふたりが、タイミングを合わせて、引っ張る、押す、引っ張る、押す……を繰り返してみましょう。間で体験している人は、引っ張られる時は持っていかれないように力を入れて、押された時は腕を曲げないように押してみてください。それではやってみましょうか。引っ張る~、押す~、引っ張る~、押す~!
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水島: ちょっと僕もやってみていいですか……?
林: では左右から、引っ張る~、押す~、引っ張る~、押す~。
水島: うん、いいですね! 鉄棒の真下に来た時の、肩や腰の引っ張られ方。一方で真上に来た時の、鉄棒に“乗っかる”ような感覚もうまく表現できていると思います。
伊藤: すごい、体操の見え方が変わったし、回転の中でどういうことが起こっているのかよくわかります。一気に解像度が上がりました!
渡邊: 最初はどうなることかと思いました(笑)。
林: 寝っ転がって鉄棒……意外なところに突破口がありましたね。ありがとうございました!
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(イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久)