Introdcution

「見えないスポーツ図鑑」のプロジェクトも、今回でひとまず、最後の競技を迎えることとなりました。これから多くの競技へ取り組みを広げていく意味でも、ぜひ挑んでみたかったのが、メジャー中のメジャー競技、サッカーです。ゲストは、早稲田大学スポーツ科学部教授・堀野博幸さん。パフォーマンス、コーチング、クラブのマネジメントといった分野の研究を行う一方で、かつてはユニバーシアード日本女子代表監督を務めるなど指導者としても活躍されてきた、知と実践のエキスパート。
サッカーという競技の複雑さを、複雑なまま、それでいてわかりやすく翻訳することはできるのか!? 結論は、誰もが予想できないものとなりました。

Section 1

レクチャー個とチーム、それぞれの“重心”

堀野: 普段の生活とはまったく異なる、手以外の体の部分、主に脚を上手く使ってボールを操作する――これがサッカーのひとつの特徴です。とはいえ、当初から現在のような競技の形態だったわけではありません。イングランドのアッシュボーンという土地にはフットボールの起源といわれている、街を二分して人々がゴールを奪い合う祭りが残っていますが、これは手を使ってもよいものでした。より時代を遡って、古代ギリシアやローマ、中国にもフットボールに似た競技があったとされ、イングランドでは中世以降に盛り上がり、「民俗フットボール」と呼ばれるものになっていきます。あまりにも激しく危険なので、国王が禁止するほどになるのですが、近代に至っては、パブリックスクールの中で行われるようになり、そして、街中で荒れ狂う競技から、徐々に洗練されていきます。
起源を近くする競技としてラグビーがあります。ラグビーのはじまりとして、パブリックスクールでフットボールの試合に出場していたエリス少年が、突然ボールを手に持って走り出した……という逸話がありますが、実際には、フットボールから危険な行為(相手の脛を蹴るハッキングなど勇敢さや男らしさのあらわれとみなされていたが危険なプレー)とボールを持って走るプレーをどれだけ取り除くか/残すかによって、現在のサッカーとラグビーへ別れていき、サッカーでは手を使うことが禁止された、ということのようです。
レクチャーイメージ1
堀野: このようにサッカーとは、激しいぶつかり合いというフットボールの源流から引き継がれた性質は残しつつ、手が使えない状況で相手のゴールまでボールを運ぶ、という競技であるわけです。主に片脚でボールに触れるので、ただでさえ体のバランスをとるのが難しく不自由であるところに、動作的な負荷がかかってくるスポーツなんですね。
さらにここで、ゴールに向かってボールを進めていくために、相手と駆け引きをしながらうまく“重心”を移していく、という局面が生じます。重心の移動、これはサッカーにとって非常に重要な要素です。自分の重心にかんしては余力を持って、バランスを崩さず上手く移しながら、相手の重心をズラしていく。プレーの中では、自分の重心だけでなく、こちらを観察しながら動いている相手の重心をうまく崩す必要があるんですね。
たとえば相手を騙す「フェイント」というのはサッカーの技術のひとつですが、これは体の重心を移して騙す場合と、ボールを動かして相手の目を引きつける、つまりはボールを介在させることで、相手の注意が自分の重心からそれている間に抜き去る場合があります。このふたつを組み合わせれば、よりレベルの高いフェイントになります。逆にディフェンスする側は、よく「ボールだけを見すぎるな」といわれるんですね。
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堀野: 今お話ししたのは、個人対個人、1対1の場面における重心にかんしてなのですが、同時にサッカーにおいては、チームの重心というものがあります。たとえばゴールを守る場合は、意図的にゴールの周りに選手を寄せ、塊として真ん中に重心を置けば、守備は破られにくい。逆に、攻める側としては、ボールを前後左右に振って、守備の選手たちが広がらざるをえないような状況をつくり出していくわけです。ラグビーでも一点に向かって押し込んでいく場面がありますが、あれも圧力をかけることで、相手の重心が寄っていかざるをえない状況を意図的につくり出している。サッカーにおいては選手自身が動き、またボールを動かしていく中で、相手の固まっていた重心がずれてくる瞬間を狙っていくわけです。
ですから、サッカーにおける「いい選手」の条件のひとつは、敵のチームレベルでの重心を見分けられる選手、といえるでしょう。たとえば相手がこちらに向かってプレッシャーをかけている、つまり重心が前にかかっているときに、それを見越してタイミングよく、ボールを相手のディフェンスラインの裏へ出せる、というようなことです。
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堀野: もちろん例外はあって、クリスチアーノ・ロナウドやリオネル・メッシといったトップ・プレーヤーであれば、チームの観点で重心を崩すことなく、個の力で突破することもできてしまいます。とはいえサッカーの戦術は非常に洗練されてきていますので、個で相手を崩し切ることができる選手というのは、そう多くはありません。
歴史を振り返ってみても、かつてのヨーロッパ・サッカーはフットボールの源流から引き継がれる激しいプレースタイルで、一方でそれがない南米は遊びの要素が多いスタイルでした。しかし、ワールドカップなどの世界大会で相まみえていくことによって、今ではかなり同質化が進んでいます。いずれにしても、ピッチ上でお互いに相手を不自由にさせる中で、プレーするようになってきています。こうした現代サッカーを考える上でも、重心という観点は有効だと思います。

Section 2

試行錯誤2つの行為を同時にやる

堀野: 実際に、1対1から少しやってみましょうか。このクッションをボールに見立てて、渡邊さんに守備側になっていただき、私が攻撃側になります。私が自分の左側に重心をずらしながら、クッションを少し左側に蹴ります。
渡邊: 僕は相手の進行方向、自分の右側に重心を移してボールを取りに行こうとしますよね。
堀野: それを見越して私は、今度は右側にボールと重心を移して抜いていくわけです。
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林: (交代で試しながら)たしかに、ボールだけでなく、相手の身体をきちんと見ていないと騙されてしまいますね。
伊藤: 周辺視野をきちんと保っていないと、相手のフェイントが成功してしまうんですね。
堀野: 攻撃側は、ボールを動かすときに自分の重心を移動させているんですが、先にアクションを起こすことによって、重心をニュートラルに戻す瞬間をいち早くつくることができるんです。守備側はうまく対応しないと、ニュートラルになる瞬間を合わせることができなくなるわけです。
伊藤: チームの重心というのは、どう表現したらいいんでしょう……? チームの重心は、人の密度で見るのですか?
堀野: 単純な人の密度だけではなく、各選手がその瞬間にどこにいるのか、ということも大事になってきます。たとえば前線で守備をしている選手は、チームの重心を頭に入れていますから、後ろに控える選手たちの位置も意識しているわけです。
渡邊: なるほど。とはいうものの、まずは1対1の翻訳から考えていきましょうか。相手の重心をずらすだけなら、二本の手ぬぐいをふたりで持って引っ張り合う、あるいは時に弛緩させてバランスを崩すという、以前に柔道で検討した表現を応用できそうです。
林: 目を閉じてやってみましょうか。
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堀野: 実際のフェイントに近いものは、少し感じますね。
渡邊: サッカーだと、自分の身体だけでなくボールと一緒に進まなきゃいけないのが、翻訳する上で重要な気がするんですよね。相手からすれば、注意するポイントがふたつある、という感じなのかな。
林: たとえば、適当な大きさのシートの上に小さなボールを乗っけて、ひとりはボールをシートから落とそうとする、もうひとりはそれを阻止する、とか。それでも攻撃側がボールを落とすことができれば“突破”する感じも出るのでは。
渡邊: お互い片足立ちになって、バランスがとりづらい状態でやってみましょうか。
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伊藤: 誘いたい方向に布を引っ張って、逆を突くわけですね。
林: おっとっと……難しい!(笑)
堀野: これは楽しそうですね(笑)。バランスをとることと、ボールを奪い合うこと、二つの行為を同時にやらなければいけない、という表現にはつながっている気がします。
伊藤: ボールは転がりすぎないほうが競技としてよさそうですね、紙風船にしてみましょう。
堀野: これをヒントにしながら、もう少し個からチームの連携の表現へ、広げていければいいですね。
伊藤: たとえば、2対2でチームに分かれて、4人がシートの端っこを片手で持つとします。そのシートの下では、もう片手で輪になった鎖を持つ。2対2のチーム戦の中で、ボールを落とす/落とさせないことを行う人がひとりずつ、鎖を引っ張ったり弛緩させたりして、バランスを崩す/崩させないことに集中する人がひとりずつ、でやってみるとか。
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林: 堀野さんの体幹がすごくしっかりしているから、バランスを崩せません……!(笑)
堀野: いやいや……(笑)。サッカーの特徴である、二つのことを同時にやる難しさ、にはどんどん近づいている気はしますね。
伊藤: 手で鎖を持つのではなくて、片脚同士を縄跳びで結んでみましょうか。
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渡邊: 競技としての目的をもうちょっと明確化できればというのと、同時に行っている二つの行為をもっと関連づけていきたいですね。今のままだと重心は崩れたとしても、ボールの扱いはさほど影響は受けませんから。みんなで歩いて移動しながらやる、とかですかね。どうしたらいいんだろう……。
一同: うーん……(考え込む)。

Section 3

結論複雑系へ近づいていく

林: 相手を突破する……ディフェンスする側としては裏をかかれるというか、そうした感覚は、どのように表現できるんでしょうか。
伊藤: たとえば、背中に書かれた文字を読まれてしまう、とかですかね。
堀野: お互い手ぬぐいを引っ張り合いながらトライしてみましょうか。
林: では、伊藤さんと私の背中に文字を貼りつけて……。手ぬぐいは四人で交錯して持つと、パワーバランスが複雑になっていいですかね。
渡邊: 片脚は上げたままにしましょう。チームは、堀野さんと林さん、伊藤さんと私で分けましょうか。堀野さんは伊藤さんの背中の文字を見ようとして、僕は林さんの文字を見ようとする。お互いにゴールを目指してバランスを崩しあうということで、用意、スタート!
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堀野: 先ほどよりも、複雑になると同時に、明確にタスクが二重化されている感覚がありますね。
伊藤: チームワークも、前面に出てきましたね。マルチタスクであることを保ちながら、より明確にわかるゴール、得点要素のようなものを入れてみたい気もします。
渡邊: あとはもっと脚を使っている感じを出したいですよね。軸足は動かさないようにして、もう片脚で相手の足の甲を踏む、というのはどうでしょうか。相手の足を踏もうとして踏み出したときに手ぬぐいを引っ張られると、重心がブレて裏をとられる感じも出てくる。
林: 足を直接踏むのではなく、紙風船をつけるのはどうでしょうか。二人ずつチームに分かれて、各チーム一人が足の甲に紙風船をつけて、相手のをクシャッと踏むことができたら得点、というような。
伊藤: お互いがバランスを崩しあえるように、手ぬぐいを交錯させましょうか。あと、引くだけではなく押すことでもバランスが崩せるように、一本、棒を入れましょう。
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堀野: では、チームも入れ替えてやってみましょう。私と渡邊さんが紙風船を踏み合って、伊藤さんと林さんがそれぞれをサポートする……。
渡邊: 林さんが僕のサポート役として堀野先生のバランスを崩そうとして、伊藤さんが堀野先生のサポート役として僕のバランスを崩そうとする、ということですね。紙風船よりゴム風船のほうが、パーンと破裂するので“ゴール”っぽいかもしれませんが、さて、どうなりますか……(笑)。改めて、用意、スタート!
一同: (ドタバタしながら)わわわわ……!(笑)
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堀野: うん、いい感じですね!
渡邊: チームメイトが相手のバランスを崩してくれる、というのが感覚としていいですね。フォローが来たことによって相手の重心が崩されている感じがあります。
堀野: そうなんですよね、渡邊さんの紙風船だけを見ていると、急に敵チームのフォローを感じる、と。
渡邊: 1対1でやっているわけではない感覚が、とても強くあります。
堀野: そうそう、苦しい時に助けてもらっているような。
林: 敵に崩されるだけでなく、味方に助けてもらっている感覚もあるんですね。
渡邊: もう一回やってみましょう。……その前に、ちょっと林さん、コンビネーションよくないよ! 動きを見てフォローしてくれないと!
林: ボールを見ているとなかなか渡邊さんに意識がいかないんですよ!(と、いつの間にか熱中)
一同: ハアハア……(大盛り上がりして切れた息を整える)。
伊藤: いや、すごいですね。個人性と集団性という意味でもサッカーの翻訳は挑戦だったんですが、こうなるとは。
堀野: 最後に一気にサッカーに近づきましたね。マルチタスクの中でボールをうまく動かすということがよく表現されています。サッカーの練習としても、実際のボールを使わなくても認知の部分でトレーニングできるものになっていると思いますよ。
林: サポートする側としても、途中から「渡邊さんを助けなきゃ!」という感覚が芽生えてきました(笑)。
渡邊: そうなんです、助けてほしいんですよ……(笑)。
林: サポート側が相手を引っ張るというのは、サッカーにおいては具体的に何に対応しているんでしょうか。
堀野: たとえば攻撃しているとき、仲間が別のスペースに走りこむことで、相手側としては、より注意が分散するんですよね。そうした感覚が近いのだと思います。
伊藤: 今回はシンプルに風船を二つにしましたが、四人全員が風船をつけて、途中で攻守を入れ替えていく、というようなこともできそうですね。
堀野: 全員が風船をつけると、まさに複雑系になっていきますね。実際のサッカーも、プレーヤーは自分がボールを持って突破するだけでなく、誰かをサポートすることもあり、その直後には守備に回ってボールに対峙したり、サポートしたりと、目まぐるしく入れ替わっていきます。レベルが上がれば上がるほど、その転換を常にやりつづけないといけないんです。ですから体も疲れるんですけど、ゲームをつづけていると頭もすごく疲れて、オーバーフローするような瞬間がある。そうした境地にも、表現としてよく近づいていると思います。いや、本当に楽しかったです、ありがとうございました。
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(イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久)