Introdcution

目にも止まらぬ剣さばきで、観客を魅了するフェンシング。その「目にも止まらない」動きの中に秘められた「見えない」本質とは、どのようなものなのか――。「見えないスポーツ図鑑」第7回のゲストは、元フェンシング日本代表・ロンドン五輪男子フルーレ団体銀メダリストの千田健太さん。引退後は筑波大学大学院修士課程を修了し、現在は日本スポーツ振興センター・ハイパフォーマンス戦略部に在籍する理論派です。
本シリーズにおいてもかなり予想外の結末を迎えた今回。剣を使わないというフェンシングの翻訳は、どのようにしてなされたのでしょうか。

Section 1

レクチャー瞬間的な「仕掛け」の応酬

千田: フェンシングは、エペ、サーブル、フルーレという3種目に分かれています。何がいちばん違うのかといいますと、相手を突いて得点になる体の箇所、有効な部分がそれぞれ違うんですね。エペでしたら、全身どこを突いても――胴、腕、頭、足先、すべて得点になります。剣に埋め込まれた電気コードが審判器までつながっていて、剣先が相手に触れると反応するんです。
サーブルは、腰から上に銀色のメタルジャケットというものを着ています。頭部を含む上半身部分が有効面で、突く、もしくは斬ることで得点になります。サーブルのセンサーは剣先でなく剣身全体なので、斬るという動きが多くなります。フルーレは、メタルジャケットを着ているのは胴の部分だけで、この有効面を突くとポイントになります。
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千田: こういった各種目の特性によって、選手の動き方がそれぞれ違ってきます。エペはシンプルで、とにかく先に突けば勝ちです。一方のサーブルとフルーレは、先に突いても負けになる場合があります。というのも、「攻撃優先権」というものがあるからです。突く前に、この攻撃優先権を持っているかどうかが重要で、同時に突いても攻撃優先権を持っているほうが得点になるんです。これが初めてフェンシングを観戦される方にとって、わかりにくいところかもしれません。実際の試合映像を見ていただきましょうか。
(研究メンバーから「速くて見えない」と声が漏れる)速いですよね(笑)。最終的な判断を行う審判でも迷うことがあります。先に攻撃のアクションを起こしている、つまり攻撃を仕掛けているほう、もしくは相手の剣をしっかり防御して突き返しているほうに攻撃優先権があるので、両選手が同時に突いたときには、どちらが攻撃優先感を持っていたか審判がジャッジするんです。
防御は、剣に対して剣で防ぎます。楯がないので、剣で壁をつくって防御する、という感じですね。フェンシングという名称はフェンス(壁)から来ている、という説もあります。先に攻撃を仕掛けて、それを相手が防御して、反撃をさらに防御して……という度に、攻撃優先権の入れ替わりはとても激しいです。最近では、ビデオのリプレイによる再審があって、それによってジャッジが変わることもあります。
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千田: 選手はだいたい、相手の全身を見ています。というのも、剣や手元を見ているだけでは、相手との距離がいきなり近くなってしまって危険なことがあるからです。その上で、相手が何をやってくるのか、流れを読む。対戦するときは、相手がどういう選手なのかよく見る観察能力と、試合の流れを読む洞察力が大事になってきます。
たとえば、攻撃を仕掛けた上で失敗してしまった場合、普通は防御に回ります。それを先に読んで、防御に回られるまえにこちらから仕掛けていく、といったようなことです。フェイントを出すこともありますね。部分的に有効面を空けておいて、「どうぞ」と相手を誘い込んでギリギリで防御して反撃するというように、相手を騙していきます。フェンシングは、予測して行動する……いわば、「ヤマを張る」ことで展開していく側面が大きいです。
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千田: 相手と向き合う中で、駆け引きを行う。防御するときも、相手が来てから下がっていてはやられてしまいます。見合った状態で、相手が動き出すときには既に自分が下がり始めていなければなりません。
とはいえ、点を取りにいくバリエーションはいくつか、自分の中で決まっているんです。得意技や、パターンみたいなものですね。たとえばフルーレでしたら動く前から、「相手の肩を狙おう」というようなことは考えているわけです。フェイントも、そのパターンのひとつです。
基本的には、選手それぞれの癖といいますか、タイプにわかれるんです。攻撃が得意な選手もいれば、ディフェンスが得意な選手もいる。大まかなプランは決めて試合に臨み、どういうタイミングで出すかを見計らっているんです。それで試してみて、Aのパターンはダメだった、じゃあ今度はBパターンだ、と別のプランにトライする。そうすると相手も対応を変えていくので、じゃあ次はCパターンだ、と展開していく、という感じですね。

Section 2

試行錯誤ヤマを張り、パターンを遂行する

伊藤: 柔道の回でも、各選手に「ストーリー」がある、という話がありました。この流れだったら勝てる、というような自分が得意なストーリーがあって、そこに相手を引き込む、と。
渡邊: 野球に近い感覚でしょうか。きっとカーブを投げてくるから、そこに狙いを絞って打っていくというか……手札、カードの見せ合い、という感じがあります。
千田: そうですね。根本的なところで似ている側面はあるかもしれません。試合が始まる最初の段階で、相手の情報が頭に入っていないと、フェイントにも簡単に引っかかってしまいます。
渡邊: 相手の攻撃パターンをどれだけ知っているか、という情報戦が、フェンシングでは重要なんですか?
千田: かなり重要ですね。フェンシング界の特徴として、長い期間世界ランキング1位でいつづける選手というのは稀です。おおよその傾向としては、ランキング1位の選手は次の年には対策をされて、ランキングが下がっていく。ずっと勝っている選手というのは、まずいないです。
林: 対策というのは、いわゆるストーリー、必殺技やパターンのようなものを覚えられてしまう、ということでしょうか。
千田: そういうことですね。ちょっと実際に、フェンシングの剣のさばき方を体験してみましょうか。フェンシングの感覚を伝えるという意味では、このスポンジの棒はもしかしたら使えるかもしれません。
まず、相手と剣身を押し合わせる。こちらが胴を突こうとするのを、相手が防ごうとしているとします。このときに相手の力に逆らわず、押されるがままにクルッと下から剣を抜いて、突く。僕はフルーレの選手だったのでフルーレ中心の話にはなりますが、こうやって相手の防御の動きや流れを利用し、いなしながら突く、ということがあります。フェイントの感覚というのは、たとえばこういう感じなんです。
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林: 防御側は、動きを利用されて剣をいなされるので、攻撃をかわしにくいですね。
千田: もうひとつ、フェンシングの剣の感覚を味わっていただくために、より実際の剣の細さと長さに近い、突っ張り棒を使ってみましょう。剣と剣を押し合わせると、剣先と剣の根本では、かかる力が全然違いますよね。ですから防御するときはなるべく、根元で防御しようとする。逆に相手の背中を狙うときは、鞭のように剣をしならせながら、剣先をうまくコントロールして振り込んでいきます。
こうして剣を上手に操作するには、ガッチリ握っていてはダメなんです。親指と人差し指の2本で軽く支えるくらいにしておく。そうすると相手の剣もいなしやすい。相手の背中を狙って振り込むときは、これに加えて小指を締めながら手首も使いますが、基本的には2本の指の操作、いわゆるフィンガリングが大事になってきます。
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渡邊: なるほど二本の指が大事だと……。でもじっと手元だけ見ていると、距離を詰められてしまうんですよね?(笑)
千田: わざと剣を隠すというか、相手から剣を離して距離感をわからなくさせて、相手が気づかない間に距離を一気に詰めるようにする、という選手もいますね。
林: (千田さんと突っ張り棒でやりとりしながら)今度は体だけ見ていたら、剣がどこから出てくるかわからなかったです……(笑)。かわせないですね、曲芸みたい。
千田: そうなんですよね。相手が動いてから反応するのでは難しいんです。だから、ある程度ヤマを張る。たとえば自分の剣の置き場所を体の外側にすれば、剣の内側の空間、自分にとって正面の防御に集中できるというように、狙いを絞るやり方もあります。
伊藤: 反射神経だけで動いていない、ということなんですよね?
千田: 反射神経だけではないですね。だいたいは、経験に基づいてヤマを張っています。
伊藤: 柔道に比べてもだいぶ動きは速い感じがしますし、比べてみると、反応し合うというよりは、ヤマを張っている側面が大きいのかもしれませんね。
渡邊: (「5」や「△」といった数字や記号が書かれたパーティー用のグッズを手に取りながら)たとえばこれを使って、5は必ず△に勝てるとか、点が取れるストーリーが決まっていることを表現できませんかね。
千田: 「じゃんけん」みたいですね。
渡邊: たしかに。じゃんけんはメタファーとしては近いですか?
千田: そうですね、基本的には近いと思います。
林: ヤマを張るという意味でも近いですね。でもこの手札で、どうやってフェンシング的にじゃんけんをすればいいんでしょうか……(笑)。
伊藤: 札を押し合って、相手の数字や記号が見えたら勝ちとか……うーん(笑)。
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千田: たしかに、剣の操作の一部という意味で、本質的に似ているところはあると思うんです。ただ、剣身がぶつかったり、押し合う剣同士が滑ったり、そういうフレキシブルな動きの表現としてはもう少し工夫できるような気がします。

Section 3

結論双方向の「知恵の輪」バトル

渡邊: さっきの剣を抜く、というような感覚でいうと、「知恵の輪」みたいなところがある気がするんですよね。たとえば、この「C」と「H」のアルファベット型の木片を組み合わせて、目をつぶりながらそれぞれ指先で持つとか……。
千田: なるほど! これ、面白いかもしれませんね。
林: どうやったら勝ちなんですか?
渡邊: 相手の木片を引っかけて取るとか……?
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伊藤: 曲線系と直線系で、得意なパターンが違う感じも出ていますね。
渡邊: これを、予め引っかけた状態でスタートするとどうなんでしょうか。
千田: たとえば時間を決めて、ひとりは引っ掛かりを外そうとする、もうひとりは外させまいとする。そのほうが面白いし、フェンシングの感覚に近いかもしれません。最初は10秒ぐらいでやってみましょうか。
林: じゃあいきますよ、用意、スタート!
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(一同、大爆笑)
渡邊: 外させまいとしているのに外されると、すごく悔しい!(笑)
林: 自分の思惑自体を外される感じがしますね。
千田: やっぱりこれは、すごくいいですね。最初に見るのでも、触るのでも、アルファベットの形を認識しておくのが大事だと思います。自分のパターン、狙いがイメージできている状態にしておく。
渡邊: 外させまいとする時は、常に引っ掛かりのテンション(緊張)をつくっておく感じですね。それで、相手が逃げそうだなという瞬間に追いかける。
伊藤: 力も入れちゃいけない感じがありますね。
渡邊: そうですね、力を入れていたらすぐ抜けられてしまう。指先で相手を感じる。
千田: フェンシングでは剣身のいろんな面で防御したり、相手の剣を捉えて攻撃したりするわけですが、そうした剣と剣が接している感触、360度にわたって指で操作する感覚が、すごくフェンシングに似ています。
あと、フェンシングの剣はレギュレーションの範囲内でいろいろとカスタマイズできるんです。得意なパターンがそれぞれにあるという意味でも、アルファベットをいろいろ選べるようにしたら、より面白いかもしれませんね。
林: この翻訳は、指先での操作,戦略とさまざまな点でフェンシング的なんですね。
千田: あとは攻守が瞬時に入れ替わる感覚をうまく表現したいですね。
渡邊: 合図で攻守が入れ替わるのはどうですか? 最初は外されまいとして、合図があったら抜く側に回る、というのをどんどん繰り返す。
千田: それ、いいかもしれません!
林: ピコピコハンマーでやってみましょうか! いきますよ、用意、スタート!(ピコン、ピコンと鳴らす度に攻守が入れ替わる)
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渡邊: これ、すごく燃えます……!(笑)
伊藤: やっぱり、人によってアルファベットの好みもありそうですね。それも翻訳としていいのかも。
千田: 楽しいですねえ(笑)。相手をいなしたり、狙いを外したりというフェンシングの特徴も的確につかんでいて、すごくいいと思います。フェンシングのウォームアップとか、初心者のお子さんたちの体験会でも、導入の遊びとして活用できるかもしれませんね。
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(イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久)