Introdcution

マウンドとバッターボックスの間で繰り広げられる、息を飲むような駆け引き。ダイアモンドの中で行き交う選手の行方に注がれる熱視線。そんな静と動が行き交うスポーツである野球に、「見えないスポーツ図鑑」メンバーが挑みます。
ゲストは、NTTコミュニケーション科学基礎研究所 Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)リサーチスペシャリストの福田岳洋さん。かつてプロ野球・横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に所属し、一軍でも活躍したピッチャーだった福田さんは、大学院でスポーツ科学も研究してきた、異色の経歴の持ち主です。そんな福田さんを迎えての第9回、収録現場は野球の駆け引きの面白さに、大盛り上がりとなりました。

Section 1

レクチャー駆け引きのメンタル性

福田: 今日の議論につながるところもあるかと思いますので、簡単にプロフィールをお話しさせてください。僕は小学校時代から野球をやっていて、周りの皆と同じようにプロ野球選手になることを目標にしていました。高校も野球の強い京都の学校に行ったのですが、なかなかレギュラーになれず苦しみまして。でも、勉強も好きでしたので、野球も強い高知大学に入り、スポーツ科学を研究しながら自分のパフォーマンスを向上させることを考えていったんです。研究が持つ現場での意義についても、その頃から考えはじめました。卒論でやっていたのは、言語指導についてです。たとえばコーチが投手に「腕を思いきり振りなさい」というのではなく、「右腕を、前に出した左手にぶつけるようなイメージで投げなさい」と伝えると効果がある、ということを映像も撮りながら検証していったんです。
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福田: 研究が面白くなり、京都大学の大学院に進学し、行動制御学などを勉強していったのですが、年齢的に体が出来上がってくる中で体の使い方を勉強することによって、図らずも野球が上手くなりまして(笑)。よく面白いといっていただくのですが、引退したからではなく、ずっと自分を実験台にして研究しながらプレーしていたんですね。独立リーグにお誘いをいただいて挑戦してみたところ、ドラフトに……というのは、縁というか運というか、自分の人生においてターニングポイントでした。その頃から引退後は研究をしたいと思っていたのですが、4年間の現役生活の中で1軍でも投げながら、プロ野球のレベルにおいても、主観的ではなく客観的にパフォーマンスを評価し、考えることができる研究の意義を再確認しました。2013年いっぱいで引退をしてから、早稲田大学の大学院でスポーツ科学を学び、現在のNTTの研究所に移ってきました。
ここからは実際に僕が現役時代に投げていた映像を見ながらお話しさせてください。ピッチャーとバッターの間の駆け引きは、野球の重要な要素です。ピッチャーは、如何にバッターの狙いを外して抑えるか、ということに注力します。たとえば、一球前ではストレートでストライクを取ったコースから、次の球ではフォークボールで落とす。バッターは先ほどと同じボールが来ると思って振りにいくけれど、結果的には落ちてピッチャーは三振をとることができる、ということですね。我々スポーツ脳科学プロジェクトで研究しているテーマのひとつとして、バッターの側からの研究があります。予想していたものと球速が違うボールが投げられたときに、ひと呼吸を置いて――0.1秒分ずらして打つことができるのが良いバッターなのですが、そのメカニズムを探っているんですね。
駆け引きするピッチャーの側としても、上手く抑えられないことがあります。次にご覧いただくのは僕がピンチに陥ったシーンですが(笑)、キャッチャーはインコースに構えているのに、僕は逆方向に投げてしまい、ホームランを打たれてしまっていますね。現在、僕はメンタル面、試合中の心拍数とパフォーマンスの関係を研究しています。たとえば試合前の投球練習から実際にプレイボールになる瞬間の心拍数を比べると、40くらい跳ね上がっていることがあります。かつては体の使い方ひとつでパフォーマンスを上げることができることを学んでいたのですが、それだけでゴールというわけではなく、メンタルバランスによってパフォーマンスが乱れてしまうことがある、そのメカニズムを知りたい、と考えているんです。
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福田: もちろんここで語っているのは、野球という競技の一部分ではありますし、ピッチャーだった僕の視点に依っているところはあります。野球では9人がポジションに分かれて守備をしますし、その守備も打球によって、ボールカバーや送球の中継といった動きなどで連携していきますから。それ以外にも、監督やコーチという要素ももちろんあります。ただ、マウンドの上からピッチャーがボールを投げ、バッターボックスに入っているバッターが打つ、というパフォーマンスは必ず野球の“起点”になります。野球という競技の展開の多くは、そこでの駆け引きが決めている、といって間違いないと思います。
また、よくいわれるのは、ピッチャーの球が「速い」と感じるのは、実際の速さというよりは、自分の想定よりどれくらいズレているかに依っている、ということです。現在、メジャーリーグに行ったピッチャーに山口俊という選手がいますが、かつて同じチームにいたころキャッチボールをしていて、彼が軽く投げたボールを取ろうとしたらパーンと弾かれたことがあります。僕も一軍で投げていましたから自信はあったのですが、キャッチボールをしたときの最初の一球が取れなかった。そんなボールが来ると思わなかった――動作に対して実際のパフォーマンスの差が大きかった時に、「速い」と感じるのでしょう。今日はこうしたピッチャーやバッターの駆け引きの感覚を、触覚などで変換しながら、面白い切り口をディスカッションし、探ることができたら、と考えています。
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Section 2

試行錯誤有利性を偏らせない

福田: (使う道具を探しながら)予め少しイメージしていたのは、伸縮する素材を使うと野球の感覚がよく表現されるのでは、ということなんですね。たとえばこのストッキングのような素材の端をふたりで掴んで、片方がビヨーンと引っ張るのに合わせて投げる動作をする。腕を振るというよりも振られる、パーンと持っていかれる感じですね。
林: 腕が鞭のように振られる、という感覚なんですかね。
福田: そうですね。……こんな感じのスタートでよいんでしょうか?(笑)
渡邊: 大丈夫です、このプロジェクトは毎回先が見えない中でウロウロしていきますので(笑)。
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林: 先ほどのお話ですと、見た目と実感の差、というのはひとつのキーワードですよね。
渡邊: 何によってコントロールとタイミングの調整を表現するのか、というのもありますね。
伊藤: そうですよね、いろんな球種もあるわけですし。
福田: もうひとつ考えていた方法もありまして。このストッキングの両端をそれぞれひとりが持って引っ張っておく。その真ん中に、ヒットや空振りを示す目印をつけておいて、一人が手を放して、真ん中に立っている人がそれをタイミングよく掴めるとヒット……というのはどうでしょうか。
伊藤: モールを使って三カ所くらいに目印をつけてみましょうか。
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林: 真ん中の白いモールの部分を掴めるとヒット、という感じですかね。
渡邊: では自分が手を放す……ボールを投げてみますので、福田さんがバッターとして打つ=モールの部分を掴んでみていただけますか。
(ストッキングがパーンと音を立てて縮む。福田さん、掴めず)
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福田: うわ、ちょっとこれは速すぎますね……大谷翔平選手のボールみたいです(笑)。先ほどお話ししたように0.1秒より短い時間でバッターは調整しなければいけないのですが、さすがにこれは速すぎると思います。必ずしも伸び縮みさせなくてもいいのかもしれませんね。同じように目印をつけて、今度は床の上で単にストッキングを引っ張ってみましょうか。バッターはタイミングよく目印を掴む。引っ張るピッチャーは、速いボール、遅いボールというタイミングを駆け引きする。
林: 下に芝の素材のマットを引いてみましょうか。
伊藤: ここがバッターボックスというか、ストライクゾーンのような感じで……。
福田: では僕が引っ張りますので、掴んでみていただけますか。いきますよ!
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林: あ、いいですね。うまく掴めないと、タイミングが崩される不安定感がありますね。
福田: 僕としてはだいぶ“野球感”が出てきた感覚があります。
渡邊: ピッチャーが動作に入ってから投げる感じを出すには、引っ張る前に手を何回か前後させて予備動作をするといいかもしれません。
伊藤: もっとピッチャーとバッターの駆け引きの緊張感は高めたいですね。いつ球が来るかわからない感じというか。
福田: もっと紐を長くしたらいいのかもしれませんね。ストッキングにさらにサスペンダーをつなげてみましょうか。
渡邊: 打った時の感触も、もうちょっとつくりこんでみたいですね。
林: そうですね、“当たった”感じがほしいですね。
福田: そうか、バッターも上から掴むんじゃないほうがいいかもしれませんね。
渡邊: 叩いて上から押さえる、とかですかね。(ピコピコハンマーで上から叩きつけながら)うーん、押さえるのが難しすぎて、打った達成感を阻害しますね(笑)。手で叩いて押さえつけるのがいいかもしれません。
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伊藤: 手で叩くにしても、バッターがタイミングを合わせるのが難しすぎるような気がしますね。実際の野球に比べて、このままだとピッチャーが有利すぎるかもしれません。

Section 3

結論ピッチャーの肩に触れる、打つ感触を変える

福田: ピッチャーの予備動作だけでは、遅い球が来るのか速い球が来るのかは、わからないですもんね。少なくとも、もうちょっとストライクゾーンは広いほうがいいかもしれません。白いガムテープをグルグル巻いて、もっと幅の広いストライクゾーンを設定してみましょうか。ここを叩いて押さえられればヒット、というような。
林: その真ん中の部分はホームラン、とかだといいかもしれませんね。
渡邊: さらに、そこだけちょっと触感が違うといいのでは。
伊藤: ガムテープを巻いた広いストライクゾーンの真ん中だけ、薄い和紙を巻いてみましょうか。
福田: (和紙の部分を叩きながら)いいですね。クシャッという感覚で、ここだけ感触が違う。うまく押さえられたときに、“ホームラン感”があります。この状態で、ピッチャーもバッターも、目をつむってやってみましょうか?
渡邊: 目をつむって……ですか。さらにバッターが難しくなりそう。
林: もしかしたら、バッターがもう片手でピッチャーに触っていたらいいんじゃないでしょうか。
渡邊: なるほど、たとえば肩に触れてみるとか。
伊藤: (片手でピッチャーの肩を触りながら)あ、今、肩の筋肉がピクッと動いたのがわかりましたね。目で見るよりも、ピッチャーの肩を触っていたほうがタイミングはわかるかも!
林: ピッチャーがグッと手を引く瞬間がわかりますね。
伊藤: なんだか相手のピッチャーと“つながっている”感覚が強くなっているというか。
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福田: (肩を触ってバッターの立場を体感しながら)面白いですね、速い球が来るかどうかのタイミングが肩から伝わってきますね。
林: バッターはその感覚を前提にして動作する、と。
渡邊: となると、ピッチャーはさらに騙すこともできそうですね。肩回りはゆっくりとした動作をしながら、手首の部分で最後に早く引くとか。あまりにピッチャーが有利になりすぎそうだったら、予備動作を含めて「いーち、にー、さん!」と掛け声を出してもいいかも。
福田: 渡邊さん、ピッチャーをやってみてくれませんか。僕はバッターで、渡邊さんの“配球”も読みながら打ってみます。
渡邊: じゃあいきますよ!
(ピッチャー、ゆっくりと引っ張る。バッター、和紙の部分を的確にクシャッと叩く)
渡邊: あー!
福田: スローボールをジャストミートしましたね(笑)。じゃあ今度は逆に僕がピッチャーで、渡邊さんは打ってみてください。それでは……。
(渡邊、クシャッとジャストミート)
福田: あー! 悔しい……!(笑)
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渡邊: これ、打たれると悔しいですよね(笑)。“打たれた”感が半端ないというか。
福田: やはりミソは、バッターがピッチャーの肩を触っている点だと思います。ボールの速度を読むことができて、ピッチャーとバッターの距離が縮まった感じがする。
林: その上でバッターは調整ができますね。触っていると、呼吸やリズムを感じますから。
伊藤: たとえボールがゆっくりでも、緊張感があって面白いです。
福田: ピッチャーは触られていることで、“読まれている”緊張感がある。
林: ピッチャーの側は、読まれながらも騙してやろうとしますよね。バッターは、前の球に引きずられてしまうこともありますね。
伊藤: 実際の野球でピッチャーとバッターがやっていることと比べると、どうでしょうか。実際にはお互い目で見ている……やはり、動きを見ているわけですよね。
福田: この場合、動きを見るということを、触感を通してダイレクトにやっている感じがしますね。
渡邊: マウンドからバッターボックスまで、約18mの先までバッターの手が伸びた状態というんでしょうか。共に目をつむっていることで、同じものを感じながら戦っている感覚もある。
福田: まさにそんな感じがしますね。18m先とくっついている感触。そこで読み合いが、駆け引きが発生している。ピッチャーがバッターのことを読むことは難しいですが、それも野球のうち、という気がします。ピッチャーは球を投げて振り遅れるバッターの様子から、相手の読みがわかるような、フィードバックによって考えるところがありますから。床でやったことも、フィールドに合っているような感覚がありましたし、非常に野球自体を強く感じる表現になったと思います。
(イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久)