Introdcution

スポーツの「見えなさ」は、フィジカル面だけではなく、メンタル面にも宿っている――。そんな新たな見地を、私たちはアーチェリーの“翻訳”を通じて学びました。70m先の小さな的に向かって、正確に矢を放つという動作の中には、小さな動揺も許されない厳しい戦いがあるようです。
ゲストは、日本体育大学体育学部体育学科准教授の高井秀明さん。スポーツ心理学の専門家として日本のナショナルチームをサポートするほか、国内強豪である日体大アーチェリー部の部長も務めていらっしゃいます。対する研究会メンバーは、今回は伊藤と渡邊のふたりでお送りします。

Section 1

レクチャー制限時間というプレッシャー

高井: 私は、スポーツ心理学という研究領域をベースに置いております。勤務先の日体大では、スポーツ心理学研究室に所属していて、目の前のアスリート、または指導者に携わって、心理的な支援活動に従事しています。
たとえば感情や認知面の変化がどういった身体の諸反応、スポーツパフォーマンスとしてあらわれてくるのかを検証するなど、選手の支援を行う一方で、体育教員を養成する大学でもありますので、教える側の心理についても情報を提供しています。研究テーマ自体はアーチェリーに特化したものではなく、日本の選手が海外でプレーするような時の文化的適応も範疇ですし、栄養学的な見地も取り入れて集中やリラクセーションを考える、といった研究もしています。
アーチェリーに関しては私自身、ずっと競技者でした。現在は2020年開催の東京オリンピックに向け、全日本アーチェリー連盟の強化スタッフとして、ナショナルチームの選手たちに対する心理的サポートに携わっています。できる限り科学的なデータ、エビデンスを用いながら、人の心理を探究・サポートすることにフォーカスしています。では、そのアーチェリーという競技の特性とは、どんなものなのでしょうか。
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高井: アーチェリーを構成する道具として代表的なものは、弓と矢、そして的です。実はアーチェリーには、森や山の中で行われるものなどさまざまな種類があるのですが、オリンピックで行われているのはターゲットアーチェリーという競技です。
的までの距離は70m。的の中心に矢が当たれば10点です。そこから同心円状に帯が並んで、9点、8点……1点、円の外は0点となります。色分けとしては、10点と9点が黄色、8点と7点が赤、6点から1点が青になっています。的自体のサイズは122㎝ですが、10点が入る円のサイズは12.2㎝、ちょうどCD(コンパクト・ディスク、直径12㎝)と同じくらいです。
70m先のCDサイズの円、しかもその中心を狙うわけですから、当然のように風の影響も受けますし、ちょっとした体のブレですとか、周囲の状況に対する心の動揺も、70m先での得点を左右するんです。
試合は個人戦、団体戦で行われるのですが、事前にそれらをひっくるめての「ランキングラウンド」というものが行われます。各個人の順位づけをして、個人、団体の対戦相手を同時に決め、トーナメント表をつくるためのものです。これは6射×12セットという形で、計72射、720点満点の中で得点を競います。1セットは4分間、その中で自分の好きなタイミングで射っていいんです。
ここからランキングが作られ、個人戦では1位の選手は64位の選手と、2位の選手は63位の選手と……という具合に1対1のトーナメント戦になります。1セットは3射、30点満点で、1射ごとに相手と交代します。このひとつのセットで対戦相手よりも得点が勝った場合は2セットポイント、同点だったら1セットポイント、負ければ0セットポイントとなる。最大5セット行い、6セットポイント先取した選手が勝者となり、トーナメントの先に進むことができます。
ここで重要なのは、「1射の制限時間が20秒である」ということです。非常に切迫した中で矢を射るんですね。このプレッシャーの影響が、すごくあるんです。1992年のバルセロナオリンピック以降、このルールになりました。対戦相手との心理的な攻防の中で瞬時に狙いを定めてシューティングするという、観戦する上でもスリリングな面白さが加わったのです。
団体戦の場合は、1セット6射、1チーム3名の選手が各2射ずつ放つのですが、一方のチームの各選手が1射ずつ順番に射て3射したら、交代した相手チームが3射する。それをもう一度繰り返し、計6射する。各セットで得点の高いチームが2セットポイント獲得……というところは個人戦と同じですね。最大4セットの中で先に5ポイント先取したチームの勝ちとなります。
ちなみに団体戦では、「制限時間は1セット2分=120秒」です。この時間の中で、3人が交代して矢を射なければなりません。
少し、実際の試合の映像を見てみましょう。個人戦にしても団体戦にしても、強いプレッシャーの中で戦う競技であることが、おわかりいただけることと思います。
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高井: 会場自体も多少騒がしいですね。その中で集中しなければならない。満点は決まっていますから、点を積み重ねていくというよりは、減点方式に近い感覚なので、さらにプレッシャーがかかってきます。
弓を持つ方の手元に、クリップのようなものがあります。これは「クリッカー」という、矢が一定の位置まで引かれたことを示す装置です。一定の位置まで矢を引くとカチッと音が鳴り、矢を放つタイミングを知らせてくれるんですね。選手としては、毎回同じ尺だけ引くための目印でして、1㎜以内の感覚が大切になってきます。ギュッと引いてきて、ギリギリのところでパッと離すわけですね。しかも制限時間以内において、です。
アーチェリーは、身体活動量が少ないゆえに、より内的な感覚に注意が向くという性質を持っています。「覚醒水準」という概念がありますが、これが低い、つまりリラックスしているほうがいいのは、アーチェリーを始めとして、ゴルフや射撃などの競技。ラグビーやサッカーでも、プレースキックに入るときや、バスケットボールのフリースローのように、ターゲットを決め、それに対してできるだけ同じような行動をとるようにする運動ですね。逆に高い覚醒度のほうがいいのは、短距離走や重量挙げ、砲丸投げに走り幅跳び、レスリング、ボクシング、柔道、競泳といった競技です。
類似した比較は、「動機づけ水準」という概念を使っても可能です。スピードや筋力、持久力などを必要とする運動では、動機づけ水準、いいかえると緊張の度合いが高まってもパフォーマンスは乱れないのですが、正確性や巧緻性、微細な変化を求める運動では、思いが強すぎるとパフォーマンスが低下してしまう可能性があるんです。
私たちの研究で、アーチェリーの一連の動作を区分し、分析した結果、エイミングの段階――つまり、的を見ながら矢を引いて一瞬止まっている局面で、パフォーマンスに差が出てくることがわかってきました。心電図や心拍、自律神経系のデータといった生体情報がここに強く影響しているのも判明してきているので、呼吸法を活用するなどしながら、できるだけリラックスして矢をリリースできるようにアスリートを支援する。
アーチェリーはシンプルな競技で、その中で自分自身を緻密にコントロールしようとする。だからこそ科学的なアプローチも体感しやすいので、私たちはデータを共有しながらパフォーマンスの向上を目指しています。
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Section 2

試行錯誤矢を放つ瞬間の“1㎜”の感覚、そして“快感”

渡邊: 矢を射る瞬間というのは、どんな感覚なのでしょうか。狙いを絞り込んで「今だ!」という感じなのか、それとも逆に、受動的な感覚なのでしょうか。
高井: 言語表現にするのが非常に難しいのですが……狙いこんだ上で、だいたいこのタイミングという感覚があるといいますか、ここから先の時間はいつでも矢を離せるようにしておこう、という準備をしています。その準備のタイミングの中で、ワッと一気にクリッカーが「切れて」矢が放たれていく感覚ですね。
トリガーのようなイメージがあるかもしれませんが、そうではなくむしろ、クリッカーが切れていく、矢が放たれていく事前準備をしている、という感覚なんです。自分から切りにいこうという気持ちがあると、そのタイミングで意図的にどこかに力を入れるようなことになり、矢が乱れてしまう。自ら切ろうとしてはいけなくて、いつの間にかクリッカーは切れている、というのが一番いいように思います。ただその際、何も体の準備ができていなかったら、それでも矢は乱れてしまう。身体的な動揺の可能性を低く抑える準備をしている、という感じです。
先ほど一定の位置まで矢を引くと音が鳴るクリッカーの話をしましたが、たとえば横で違う選手のクリッカーの音が鳴ると、自分の音かどうか瞬時に判別がつかず、「あっ!」と矢を離してしまう人もいます。
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高井: 矢を射る最後の、残り1㎜という単位までに持ち込んでいくパターンは、選手によっていろいろですね。グッと待つ選手もいれば、一気に引いて止まらずにリズムで放つ選手もいますね。
伊藤: なるほど、私たちはその1㎜の感覚を表現しないといけないのですね。どうしましょうか……(笑)。
渡邊: たとえば、先が尖ったものを合わせてみる。先の尖った空気入れとボトルを使ってみましょう。ひとりはボトルの位置を固定しておいて、もうひとりが空気入れの先端をボトルの先端に合わせるように動かす、とか……。空気入れには洋服用のゴム製サスペンダーもつけて、サスペンダーの端を三人目の人物が持ってみましょうか。サスペンダーにつながれた空気入れを引っ張って、逆サイドに位置しているボトルの先に合わせてみる。
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伊藤: たしかにこれだけでも細かな調整になるから難しいけど……時間や音のプレッシャーはあったほうがいいですよね。ひとまず横でハンドベルを鳴らしてみましょうか。
高井: 音はだんだん大きくなったほうがいいですね。
伊藤: じゃあ、少し遠くからベルを鳴らしながら、だんだん近づいてみますね。
高井: 選手が言うことで面白いのは、矢を放った瞬間に、強い快感を覚えるということなんですね。スポッと抜ける感じというか、「来た!」というような瞬間的な快感があるようなんです。サスペンダーを引っ張って、パッと離すという感覚がいいんじゃないでしょうか。
渡邊: じゃあ編集さんにサスペンダーの端を持ってもらって……。危ないから、胴の部分にガードを着けてもらいましょう。
高井: 射る人は姿勢を常に保たなきゃいけないので、クッションの上に両足を置いて、少し不安定さを出してみましょう。緊張しながら細かなことをすると、少しの動揺が影響してバランスが崩れやすくなるので。それでは、僕が空気入れを引っ張って……ボトルの先に触れた瞬間に離しますよ!
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バーン!(引かれたサスペンダーと空気入れが編集の手に当たる)
編集: 痛っ!(笑)
一同: ハハハハハ!(笑)
高井: でも、矢を射るときのハラハラ感というか、このある種の怖さも、感覚としてはいいように思いますね(笑)。ベルの音もプレッシャーとしてはいい。あと、サスペンダーを引っ張ったときの、腕の筋肉の張りですね。矢を射る最後の瞬間は力が入っているわけですから。グーッと張り切った状態で、パッと離すという感覚は表現できていると思います。

Section 3

タイマーと箸

伊藤: でも、1㎜内という細かな感覚を表現するには、これだとちょっと簡単すぎるような気もしますね。
渡邊: もしかしたら、より細い箸の方がいいかもしれませんね。
伊藤: 箸の先端を、ボールペンの先端の穴の中に差し込むべく頑張って、入った瞬間に手を離す、とか。
高井: その動作を、制限時間内に行わないといけない、というふうにすればいいと思います。
渡邊: スマートフォンのタイマーを使ってみましょうか。10、9、8……という感じで、カウントダウンが表示されて、0になると音が鳴りますから。ボールペンを持っている人が、もう片手でスマホを持っておく。箸を持つ人は、常にそのカウントダウンを気にしなければならない、というような。
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高井: 箸をボールペンに入れるのがちょうど難しいくらいになるサスペンダーのテンションは、もうひとりがサスペンダーを持つ位置で調整すればいいでしょうね。タイムリミットはひとまず10秒くらいがいいんじゃないでしょうか。カウントダウンは声に出した方が、緊張感が高まるでしょうね。では、これでやってみましょう。
渡邊: 私がサスペンダーの端を持ってみます。危ないから軍手もはめましょうか。準備OKです!
伊藤: じゃあ私が箸を持って……。
高井: 私がボールペンとスマホを持ちますね。箸とボールペンの高さは同じにしておいたほうがよさそうですね。
渡邊: 横から編集さんに、スマホの画面は操作してもらいましょう。カウントダウンは私が読み上げますね。
編集: ではいきますよ、用意、スタート!(タイマーをセットする)
渡邊: 10、9、8、7、6、5……。

(伊藤が箸を持ってグーッとサスペンダーを引っ張る。高井さんの持つボールペンの穴に先端が入った瞬間に、箸を離す。サスペンダーの端を持つ渡邊のガードに「パチーン!」と箸が当たる音。スマホのタイマーが「ピピピピピ!」と鳴る)
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伊藤: すごい音がしましたけど……大丈夫ですか?(笑)
渡邊: 大丈夫です(笑)。私もやらせてもらっていいですか……なるほど。少しずつ引っ張っていくと、限界を超えていくような感覚がありますね。「ここまで大丈夫なんだ」という、想定を上回ったところまで引っ張ったうえでパンッと離すので、たしかに快感がありますね(笑)。離す前に、「やばい、やばい」という恐怖も含んだ感覚があるんです。きっと、サスペンダーの端を持っているのが人間である、ということも重要なのかもしれません。これが壁に結んであったら、無理ができちゃう気がしますから。
高井: では私も、箸を持ってやってみますね。ああ、これはいいですね。矢があっちに行ったりこっちに行ったりせず、一定のルートを経て真っすぐに射ることができた瞬間の気持ちよさに、非常に近いものがあります。
渡邊: 力を入れている緊張感と、その中で針の穴に糸を通すような感覚が両方あるのが特徴的ですよね。カチッと入って手を離す瞬間に快感がある。
高井: 制限時間は7秒ぐらいがちょうどよさそうです。あと、特にスマホの画面は見なくていいでしょうね。アーチェリーのアスリートなら、時間間隔はだいたいわかっていて、あとこれくらい時間があるから矢を引いて射ることができる、というのは体感で理解していますから。
たとえばこれを、互いに6射、そのうち合計時間が少なかった方が勝者という、タイムトライアル的なゲーム性に持っていくのもひとつの手だと思います。
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高井: 道具を使っている感覚もいいと思います。自分の意識を持って、この箸をどう動かそうか、という――自分の指ではないモノと、意識のやりとりがある。
渡邊: これまで扱ってきた競技はフィジカルに依ったものでしたけど、新鮮な体験でしたね。
伊藤: 心理的なものにアプローチしたのは、初めてでしたね。
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イラスト:加納徳博、写真:西田香織、編集:宮田文久